恐らく患者は皆通る道だ。
約3年前、休職を決めた。😓53歳の時だ。
俺が務めていた会社は55歳からある要件を満たせば定年退職ができた。2年休職してその時の体調を見て復職するか退職するかを考えた。
なんとか53歳まではふんばったが休職を決定づけたのは事務所でこけて1人で立ち上がれなくなった時だ。
心の声「あかん…キツ過ぎる…もう辞めよ…。」😅
この時の身体の状態は杖をついて歩行はできるが立っていられるのが賭け事かというくらい脚に接地感がなくなっていた。歩いても10m歩くと息が上がる…。
残念ながら潮時だ…。と強く感じた。😤
病気を宣告されたら、潮時だと思った時に仕事を継続するか辞めるかを検討したら良いと思う。生活環境はそれぞれだ。絶対そうしろとは言わない。ただ無理をすると良い結果は絶対にない。健常者に比べ骨折したらする度に筋力はかなり落ちていく。この病気に骨折はつきものだ。特に両脚。
5年で5回骨折…内3回入院した俺が言うので間違いない。筋力は5年前とは雲泥の差だ。つまずく事が多くなるので特に歩くときは注意が必要だ。😍👍
残念ながら骨折の痛みには慣れてしまった。いかんのは入院。これだけは極力避けたいな。
予定では55歳で役職を見直しされて通常定年の60歳までゆる~く精神的にゆとりのある内容の仕事をしようと考えていた。で、プライベートの趣味に時間を割いていく!😁
つもりだった…。
まあそーはいかんわいな!残念!年々きつくなり55歳で退職をした。未来予想図は思い描いていたものとは全く違っていく事となる。👎😡
会社は家でできる仕事を考えてくれていたが、キッパリ辞めた。😍会社サンキュー!
どんな仕事も責任が生じるから辞めた。
言っとくが、その選択は決してマイナス思考ではなく、これから筋力が低下していくであろう下降線の角度を緩めてやる、あわよくば回復してやろうと思ったからだ。例外もあるかもしれんやろ。😜😜😜👍
仕事も良いが先ずは己の身体だ。リハビリに専念する環境作りが最優先事項だ。
まあ想定外は今までもなんぼでもあったが…
その頃はそれでも流石にちょっときつかったな…精神的に。治らんけんの。😓
ジワジワ身体が動かんなるけんの…
精神は折れ、若干荒れた。クソのような世の中はやっぱり理不尽ばかりだと思った。正直「なんで儂なんぞ!他になんぼでもカスみたいなんおるやないか!よりによって何でや…」て思うわけだコレ。そんなん言うたらあかんけどな。👎
と言いつつ儂よりカスはソートーおるやんけ!ほとんどのヤツやんけ!とも思うわけだコレが!ホンマあかんな難病は…。
ププ、ニンゲのいかんトコよの~~。こういうの。やけど本音かの。ギャハハ!😆
ま、実際は他人の事なんぞ考える余裕は一切ないわ。😁
休職後、その頃はまだ魂ともいえる愛車で運転ができたのでまだ良かったかな。😍👍
乗り降りが普通のドアじゃないので降りる事ができなくなり昨年2月に売却した。😱
嫁さんや車の主治医は置いといたら良い!と言ってくれたが、乗れないのに置いておいてもな…。家に車3台は置ける(ウサギ小屋やけど)けどセヴンは走らせてナンボ!の車だからな。😎👍
兎にも角にもやりたいと思い描いていた事が随分とできなくなるのは確かだ。キツイ言い方やけどな。病気の進み具合にもよるがまだ杖なし、しんどいけど歩ける。階段もいけるのなら将来は明るいかもしれんな。現在は本当に様々な国が治療薬を開発している。それとHALによるリハビリで筋力が衰える下降線は随分緩やかになるはずだ。症状が軽ければ軽いほど身体には良いと思う。それと…
先ずはこの病気に関する情報を得る事だ。ネットで調べるのも良いが限度がある。最善策はSBMA患者の会に入会することだ。ホストはこの病気の権威の医師が所属する大学だ。年会費は要るがほんのちょっとだ。言っちゃなんだがここの情報は俺が通院してる病院よりたぶん詳しいし早い。これはお奨めだ。俺は娘に勧められ入会した。ナイス娘っ子!治験の情報もあるのでありがたい。今の病院はおそらくこれさえも知らない。ホントにリュープリンを打つだけやな。実際看護師さんで事足りる!今のところはね。😂
セカンドオピニオンも検討したら良い。難病患者は大学病院とかが良いかもしれんな。
結局最後は自分でどうするかを決めなくてはならない。例えつらい難病だろうが心の整理は自分でつけるしかない。幸い時間はタップリあった。俺は行きつくところまで真剣に考えた…この先何か生きとる意味があるんか?
寝たきりになって何もできなくなって…それで生きてると言えるんか?😨
まあ答えを見つける事はできなかった…😅
ただ言えるのは今は幸せだと感じる時もある。ささやかだが。👍
嫁さん、娘のおかげだろうな。😍
それでもう充分やんか。と思えるようになった。例えこの先どうなってもな。
来るべきその時に嫁さんと娘がいてくれたら楽しい人生だったなと言えそうだ。
ただ、まだ全然諦めた訳じゃないぞ。当然やれる事はやり続けるつもりだ。💪😁
70%くらいかな…将来への覚悟は。
考えてもしょうがないけんの。
「病気と上手くつきあわないかん」
難病の球脊髄性筋萎縮症の人間に向かって
このセリフ言うヤツは信用しないほうが良い。これは病気が治る可能性があるヤツ向けの一番簡易な小手先のセリフだ。病気のヤツにはこれを言ったら間違いないと思っているカスだ。病人にはコレと決めているセリフだ。「お前がこの病気になってみーや!」と言ってやれ。俺も言われたがやはり信用出来んヤツが言ってきたな。😂あと自分の病気を言ってくるヤツな。知るかお前の病気なんぞ。👎😂😂😂
ま、結局自分が今できる事をやり続けるしかないんよ!😍
どこまでリハビリやって良いかの判断も誰もできんのやけん。残念ながらな。
自分で決めて、やるだけの話。今までと一緒!という事よ。😍👍🍀
治療薬だってできるかもしれんよ!
何があるか分からんけんやれる事をやって次のステップの準備をしようと思う。😆💪
幸い俺は嫁子に恵まれた。嫁子には感謝しかない。治ったらまたしっかり恩を倍にして返すけんの。😍💝
筋肉って一回壊れたら治らんと言ってなかったっけ?治りかけてるぞ…声も復活してきた。
当然毎日、嚥下、表情筋、発声のトレーニングを自己流でやっての話だ。嚥下はSTさんともやってるな。😁👍
また車で美味しいモンを食べに行きたいな~!
もし出来なんだら?
それはそれでしょうがない!健常者だった頃でも自分の思うようにできたのは3割くらいだろ!ケセラセラ!
それでえーんよ!ほなまたの!😍👌🍀
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